教会の歴史
石巻山城町教会は吉田亀太郎が、東北学院の創設者押川方義を新潟より伴って、吉田の両親の暮らす石巻で伝道活動を開始したことがその始まりでした。押川と吉田は「東北を日本のスコットランドに」という幻を抱いて、東北伝道に従事しました。スコットランドは(エジンバラやアバディーン、ダンディーといった)港町を中心に各地域が発展していき、気候も石巻と似ています。さらには長老教会の中心地でもありました。
当初石巻は東北伝道の拠点として考えられていたのです。かくして、当教会は1885年11月7日に「石巻一致教会」として、その歩みをスタートさせました。その後、「日本一致教会」が「日本基督教会」に改称したことに伴い、1890年に「石巻基督教会」、1941年に「日本基督教団 石巻山城町教会」となり、今日に至ります。当教会は最初は石巻市内のほかの場所(千石町)に建てられましたが、1922年に現在の場所(泉町)に移転しました。2001年、教会堂と牧師館の老朽化が進んだために、教会堂は原形を残したまま大改修し、牧師館は新築しました。さらに新たに大きなステンドグラスが取り付けられました。このステンドグラスは石巻出身のステンドグラス作家小林未季さんによって製作されたものです。
当教会の礼拝堂は、アクロン型と呼ばれ、礼拝堂の隅に講壇が置かれているところに特徴があります。これはアメリカ人宣教師E.Hギンザ-の設計図によるものであり、彼の母教会であるペンシルバニアの教会を模倣したものであると言われています。
また、当教会は設立当初より改革長老教会の信仰的伝統に立ち、現在もそれを大事しながら教会形成と伝道に励んでいます。
2011年の東日本大震災では、わずかのところで、津波の被害を免れました。このことの意味を重く受け止め、この先も石巻の地において、主イエス・キリストの愛と救いの喜びを力強く証して参りたいと思います。